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あさが来たのモデル広岡浅子は日本女子大学を作った人だった!

日本人美少女
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NHKの朝の連続ドラマ「あさが来た」がじわじわと人気が上がっているようですね。

先日は、視聴率20%を超えたとか。

 

このお話は、あさとはつの2人の姉妹を中心に描いた

いわばダブルヒロインのドラマで

女性実業家として活躍するあさを波瑠さんが、

嫁ぎ先が夜逃げして苦労するはつを宮崎あおいさんが演じていますね。

 

特に、宮崎あおいさんのイメージと役柄のギャップなんかも印象的です。

 

ところで、あさのモデルとなっているのは、広岡浅子さんという実在した方。

この人は、当時の常識を破るバイタリティーあふれる方だったようで、

日本女子大学を設立した方なんです。

 

どんな人なのか、ちょいと調べてみました。

あさが来たのモデル「広岡浅子」とは?

例によって、Wikipediaの説明を読んでみましょう。

山城国京都(現・京都府京都市)・油小路通出水の小石川三井家六代当主・三井高益の
四女として生まれる。
幼名は照。

幼い頃より裁縫や茶の湯、生け花、琴の稽古などよりも、
四書五経の素読など学問に強い興味を持つが、
「女に教育は不要」という当時の商家の慣習は固く、家人から読書を禁じられる。

9歳で父親が没し、35歳の高喜が家長となる。

引用元: Wikipedia 広岡浅子のページより

 

まあ、時代とは言え、かわいそうですよね。

どんなに才能があっても、昔は「家」が強かったから、女性には不遇の時代ですよね。

それでも諦めなかったのがすごい!

 

本当にできる人というのは、ダメ!って言われても、何とかするバイタリティーと知恵と行動力がありますね。

いつの時代にも、そういう人はいるもんです。

見習わねばなりませんな。(笑)

 

その後、嫁ぎ先でも経営手腕を発揮し、傾きかけた家業を持ちこたえさせ、

さらには炭鉱事業にも進出し、実際に現場で働いていたそうです。

当時の女性からしたら、とんでもない人だったに違いありません!(笑)

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女性実業家、教育者として大活躍

その後も、加島銀行を設立し、

さらに誰もが知っているであろう、あの大同生命の創始者でもあるんですって。

知らんかったわ~。

 

あさが来たってドラマがなかったら、絶対に知ることのなかった

豆知識でしょうねえ~。(笑)

 

さらにさらに、幼いころに教育を受けることを禁じられたことが

よほど残っていたんでしょうねえ。

 

女性教育の必要性を強く感じたそうで、女性教育機関の設立に大いに共感して

実家である三井家に無理やり(?)土地やら金やら出させて、

日本女子大学の設立にこぎつけたそうです。

(ちょっと言い過ぎかな??^^;)

まとめ

江戸末期から明治維新の日本の混乱期、大変革期を生きた広岡浅子さん。

ものすごい才能と行動力があったんだなって、思います。

すんごい人ですよ。ほんと。

 

たまたま女性だったから苦労なさったのでしょうが、

もし、男性だったらどうなったのかな?とも思いますね。

 

もっともっとすんなり活躍できていたのか、

あるいは、あの時代の女性だったからこそ、行動力がすごかったのか。

 

あなたは、どう思いますか?

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